もちもちアダチルちゃんブログ

元アダルトチルドレン=略してアダチルの24歳が運営する「生きづらさの克服」をテーマにしたブログです。でもハンドルネームはナナチル。 ペンギンが好き(・Θ・)

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私が病気になった意味

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こんにちは。ナナチル(@burytheold)です。


今日は私の闘病体験について、
そして病気を通して学んだことについて
綴りたいと思います。

 


病気になる理由は、人それぞれ。
けれども、私の場合はなるべくしてなったと思っています。


自分が病気になったのは、なぜなのか。
この病気には、何の意味があるのか。


今も心身の病にもがく人に、何かを届けられたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

病気のはじまり


私は2015年冬、ある日突然、体が動かなくなりました。


夜寝て、朝起きてみると、体が起き上がらない。


なんで?どうして?
ひとり布団の中で困惑しながら体を動かそうとするも、起き上がるどころか手足もほとんど動かない。


そんな状態で固まっていたところ、当時一緒に住んでいたルームメイトが起こしにきてくれて、やっと助けを求めることができました。


彼女に起こしてもらった私はかろうじてスマホを取ってバイト先にお休みの連絡をし、
その日は結局、ルームメイトに起こしてもらったり食べさせてもらったりしながら一日を過ごしました。

 


ところが、この状態は一日では終わりませんでした。


次の日も、その次の日も、同じように体が動かない。 


これはマズいということで病院に行くと、適応障害と診断されました。

 


医者「ナナチルさんはね〜、うつじゃないんだけどね〜。
あえて言うなら適応障害かな〜」


先生、そんな、テキトウな。


でも、適応障害がピッタリかは置いておいて、自律神経を著しく損なって病気になったことは間違いありませんでした。

 


原因は、色々。


当時大学2年生で、
4年間の学費を自分で返済するために月10万円分のバイトをしていたこと、
特待生維持のために日々の勉強や期末テストで追い込みをかけていたこと、
家庭のイザコザやトラウマ。


そして何より、大嫌いな自分を無理矢理に変えようとしていたこと。


こういった様々な負担が積み重なった末に、どうやら私の神経は耐えきれなくなってしまったようでした。

 

 

 

闘病生活のもがき


倒れてからは、見えるもの感じるもの、世界のあらゆるものが一変しました。

 


当たり前にできていたことが、できない。


寝ること、食べること、こんなにも「普通」のことが、今の私にはできない。


このことが、どれほど悔しくもどかしく、情けなくてたまらないことなのか、
私は倒れるまで考えたこともありませんでした。


あの人この人には当たり前にできることが、私には、できない。


こんな自分が、何で生きているんだろうとまで思いました。

 


けれども、もがきの中には、宝物があるもので。


このもがきの生活は、私にとって人生最大の苦痛でもあり、最高の学びに気づかせてくれる機会にもなりました。

 

 

 

病を通して学んだこと


人の心情がわかるようになった


病気になって学んだことは様々ありますが、最も大きなことは2つあります。

 


まず1つ目は、人の心情がわかるようになったことです。


もちろん、全部ではありません。
私に分かるのは、その人の心のうち、氷山の一角のようにごくほんの一部だけ。


けれども、自分が倒れる前よりは、人の心や痛みに対して少しでも理解できるようになりました。

 


というのも、病気になる前の私は、うつ病の方に善意100%で叱咤激励をするようなタイプの人間だったのです。


「実は最近力がでないんだ...」という人や、
「普段中々体が動かないけれど、今日はがんばって外に出てきたんだ」という人に対して、


「え〜!力が出ないなんて言わないでくださいよ〜!」とか、
「大丈夫ですよ!○○さんならできますって!」とか、
「これからもがんばりましょ〜!」とか。


そういったことを、平気で、言ってました。

 


そして、多くの場合、そういった善意の押し付けが相手の心を傷つけているのだと気づいたのは、自分も倒れた後のことでした。

 


倒れてはじめて、体が動かないことのつらさを知った。


倒れてはじめて、心が思い通りにならないことの痛みを知った。


倒れてはじめて、世の中には本当にどうしようもなく、体と心が自由にならない人がいるのだということを知った。

 


そして、そういった人たちの心を分からずにかける一言一言が、たとえ善意であれ悪意であれ、ナイフのような凶器になりかねないのだということを知った。


「がんばれ」という一言ががんばれない自分の胸を裂き、
周りの人が腫れ物のように接してくるのを見ては「私を特別扱いしないでくれ」という理不尽な怒りがこみ上げてくる。


期待されても負担だし、気を遣われても苦しくて、自分でもどうしたらいいのかわからなくなる。

 


けれども、そういった言葉にもならないもどかしさを感じられたことが、私にとって大切なことだったのだと思います。


人の心や痛み、もがき。
それはやっぱり、自分が体験してみないとわからないこと。


倒れるまではわからなかった人の心に、病を通して少しでも歩み寄れるようになったことは、私にとってとても意味深いものとなりました。

 

 


何もできない自分の価値を悟った


そして2つ目に学んだことが、“自分の価値”についてでした。


私は昔から自己肯定感が低く、いつも誰かに認めてもらうことを追い求めてきました。


人に認められるために勉強をして、人に認められるために無茶をして、「何かができる自分」を必死でアピールしてきたんです。

 


けれども、病はそんな私に大きな試練を与えました。

 


「何か」どころか、「何も」できない毎日。


「褒められること」をしてこそ愛されると思っていた私にとって、それはあまりにも大きな苦痛でした。

 


「何もできない自分」に、価値なんてあるのか。


来る日も来る日も考えて、
何度も何度も声を殺して泣きました。

 

 

けれども。


そうして一人で押しつぶされそうになっていた時、私を支えてくれる様々な優しさに出会うようになりました。

 


「何もできない自分」に向き合ってくれる人。


自分で自分を諦めそうになっても、私を諦めないでくれる存在。

 


自分が何もできなくたって愛し支えてくれる存在は、実は確かにそこにあって。

ただ、自分が分かろうとしていなかっただけなのだと、身をもって気づかされました。


特に高校時代に出会った恩師は、こんな状態の私に毎日手紙を送ってくださり、何千何万もの言葉で支えてもらいました。

 


「何ができるできないは、関係ない。
ただ、あなたがあなたでいるだけで価値があるんだ」

 


と。

 

そうか、そうだ、そうだったんだ。

私は病気だろうと、何もできなかろうと、他の誰とも代えられない人間なんだ。

 

「何かができるから」じゃなくて、自分という存在そのものに価値があるんだ。

 


きっとこの言葉は、私が病気でもなく健康で、何でもできるスーパーマンだったなら響かなかった。


病気になって、
「何もできない自分」に向かい合って、
たくさん泣いて、
たくさんもがいたからこそ、


この言葉の本当の意味を、自分のものにできるようになったのだと思います。

 

 

 

最後にー今も病と闘う人へ


病気になる理由は、人それぞれだと思います。
先天的なものとか、人間関係とか、不摂生とかその他諸々。


でも少なくとも私の場合は、なるべくしてなったなと思っています。

 

現在、私は約2年間の闘病生活を経て病を克服しましたが、病気になったことで気づかせてもらった事は本当に山ほどあって。

 

ああ、これを学ぶために私は倒れたんだなっていうのが個人的には一番しっくりきています。


全ての人がそれと同じだとは思わないけれど、

でも、病気を通して学べること・得られることは、きっと誰しもあるのだと思います。

 


倒れたからこそ見える景色があって、


倒れたからこそ気づけるものが、きっとある。

 


人生の道を行きながら、つまずくことは山ほどある。


けれども、自分をつまずかせた石をなんだと思って拾ってみたら、それが実は宝石の塊かもしれない。


倒れた、転んだ、もうダメだといって泣いてばかりいないで、倒れた先に見つけた何か一つでも掴んで立ち上がれば。


それが、自分にとってかけがえのない宝物になることもあるから。

 


そうやって“もがきの宝”を見つけた時に、全ての涙や痛みも意味あるものに変わるんだと思います。