もちもちアダチルちゃんブログ

元アダルトチルドレン=略してアダチルの24歳が運営する「生きづらさの克服」をテーマにしたブログです。でもハンドルネームはナナチル。 ペンギンが好き(・Θ・)

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【はじめに】このブログとナナチルについて

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はじめまして。ナナチル(@burytheold)です。
お目通しいただいて、ありがとうございます。
 
ここでは、当ブログのテーマと私自身についてご紹介できたらと思います。
 
このブログでは、一体どんなことを発信していくのか?どんな目的があるのか?
 
ナナチルって、一体どんなやつなのか?
 
そういったことに答えるために、
私自身のアダルトチルドレン(AC)としての生い立ちや克服のきっかけ、そして当ブログ開設に至るまでの経緯をお話したいと思います。

 
 
 

 

 

 

ブログテーマは「生きづらさの克服」

 
このブログでは、私自身がアダルトチルドレンを克服した経験をもって、自分らしい生き方・考え方・心と体の健康などなど、様々なことを発信していきます。
 
キーワードとしては、機能不全家庭、いじめ、ブラック企業、病気、精神疾患などへの関心が高いです。
 
が!ゆるゆるな日常記事も書いていく予定なのでお気軽にどうぞ〜

 
 

ナナチルってこんな人/プロフィール概略

 
【HN】:ナナチル
【出身】:神奈川県
【性格】:猪突猛進
【仕事】:新卒ブラック企業→給食のおばちゃん→現:作家
【趣味】:映画、演劇、歌、絵
【目標】:たいりょくをつけるぞ
【音楽】:宇多田ヒカル、BUMP OF CHICKEN
【映画】:ディズニー全般、チャーリーとチョコレート工場、ハウルの動く城、グレイテスト・ショーマン、きっと、うまくいく
【動物】:ダントツでペンギン一択
  
 
 

ACとしての生い立ち/生きづらさ

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周りはどこを見渡しても山と海。
 
私はそんな大自然に囲まれた、神奈川県のある田舎で生まれました。
 
山に行っては木から木へと飛び移り、
海に行っては素手でウニを割ってむさぼり食う...
幼少期はそんな感じでワイルドに生きてきました。
 
 
そんな私を外から見た人は、
「ただの田舎っぺゴリラ」と思うかもしれません。
 
でも、それは私のほんの一部です。(否定はしない)
 
 私には、ただのワイルドゴリラとはまた違った側面がありました。
 
 
それが、アダルトチルドレンとしての側面です。
 
 
※アダルトチルドレン(AC)とは。
元はアルコール依存症者の家庭で育ち、成人した人々を指した言葉です。
現代ではより広義な意味として用いられ、機能不全家庭で育った影響により自己肯定感が低かったり、生きづらさを抱えている成人のことも含まれます。
 
 
 
 
ACとして生まれて

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ここからちょっと空気が変わります。
 
 
私の場合は、生まれた時から母がアルコール依存症者でした。
 
若い頃からアルコール依存症だった母と、ちっちゃな会社の社長さんだった父。
 
ところが、父は医療ミスによってある手術の輸血時にがん細胞が入り込み、私が2歳になる前にがんで亡くなってしまいました。
 
 
遺されたのは、母と私と父の仕事の借金。
 
 
父が生きていた頃は、毎日細腕に大きな荷物と赤ん坊だった私を抱えて必死に看病していた母ですが、
父が亡くなってからは、水商売で働きながら徐々に心と体を壊していきました。
 
 
そんな母は、いつしか別の人と再婚し、そして離婚し、また別の人と付き合っては別れる、そんな恋愛を繰り返しました。
 
その姿を見ながら、私は子どもながらに「愛って何だろう?」と疑問を抱きつつ、母の愛情を得るため必死に生きました。
父を失った私には、母しかいなかったのです。
 
 
 
けれども、愛されるっていうのは、そう簡単なことじゃない。
 
それが特に、アルコール依存症者の家庭ならなおさらで。
 
 
 
母はお酒を飲んでいない時には、美人で優しくて料理も上手で、まさに理想のような母親でした。
 
 
けれども、一度お酒を飲めば、その姿は一変。
 
 
顔はやつれて尖った目をし、ご飯は作らず、毎日言葉のナイフとその腕を振り上げ、私の心と体はボロボロになっていきました。
 
 
 
「あなたがいるから離婚しないのよ」
 
「あなたのせいであの人と別れたの」
 
「あなたのせいでお酒を飲むの」
 
 
 
そんな言葉を聞くたびに、心はぎゅっと押しつぶされました。
 
 
 
そして、いつしか私は「ごめんなさい」が口癖になり、母や皆が苦しむのは全部自分のせいなんだと思うようになりました
 
 
自分はいるだけで害になる存在ならば、いない方がいいのかもしれない。
そう思って何度も屋上から地上を見下ろしては、柵を越える一歩手前で生きることを諦めきれませんでした。
 
 
 
「やっぱり、死にたくない」
 
「愛されたい」
 
 
 
そんな灯火のような心で踏みとどまって、何とか愛されようと、死にものぐるいで努力するようになりました。
 
 
テストで満点を取ること、
その次は学年1位になること、
その他にも生徒会やあらゆる代表に立候補してみたり。
私は目に見えて“よいこと”をしてきたつもりでした。
 
 
 
その結果。 
 
 
 
やっぱり、母は、私に見向きもしてくれませんでした。
 
 
 
元々要領なんて良くないから、一つ一つ、必死に勝ち取ってきた功績たち。
 
けれども、母は相も変わらず酒を飲み、私を認めてくれることはありませんでした。
 
 
 
「それなら、
 
それなら、
 
せめて母じゃなくても、
 
他の誰かでも私を愛してくれないか」
 
 
 
崩れ落ちそうな心を抱えて、それでも私は愛されるための努力を続けました。
 
 
 
「誰か一人に愛してもらいたい」
 
「誰か一人に認めてもらいたい」
 
 
 
けれども、愛されようとすればするほど、何をやっても空回り。
 
私には、どこに行っても居場所がありませんでした。
 
 
 
家族には何をやっても認められず、
 
学校では家庭の事情を悟られないように、馬鹿みたいにふざけては本当の自分がわからなくなりました。
 
バイト先ではいつもミスを連発して、要領の悪い自分にうんざりしながら、心を殺してひたすら謝り通す毎日。
 
何をしても惨めで情けなくて、自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
 
 
 
「人から愛してもらうことって、どうしてこんなに難しいんだろう」
 
「ただ、愛してほしいだけなのに」
 
 
 
そんな私に変化が訪れたのは、高校2年生の時のこと。
 
こんな自分を認めてくれる、ある一人の先生に出会えたことがきっかけでした。
 
 
 
 

自分らしさを取り戻したきっかけ

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その先生は、なんというか飾らず素朴な人でした。
 
背が高いとか顔がいいとか、全然そんなんじゃなくて。
 
でも、いつもありのままの正直な姿で、一人一人に真摯に向き合ってくれました。
 
 
 
「私はこれがすごいんだぞ」
 
っていう自慢話じゃなくて、
 
「私は最近こんな失敗をしたんだ。
でもね、そこからこんなことを学んだんだよ」
 
なんて自分の弱さを語りながら、
 
様々な問題をどう乗り越えたらいいのかを教えてくれました。
 
 
 
その飾らない姿が、いつも真っ直ぐでイキイキとしていて、私にはとても輝いて見えました。
 
人から認められようと、いつも他人の顔色を伺ってビクビクしていた私とは、全く正反対だったんです。
 
 
 
そして、いつしか私もこんな風に生きたいと思い、その先生から様々なことを学ぶようになりました。
 
 
 
人生の生き方や考え方。
 
困難への立ち向かい方。
 
諦めない心。
 
そして数えきれないくらい、多くの大切なことについて。
 
 
 
そうやって新しいことを学んでいくうちに、私は徐々に縛られていた考えが紐解かれ、生きづらさを克服していくようになりました。
 
 
 
自分にはない言葉を学ぶことで、自分の考えが変わる。
 
考えが変われば、行いが変わる。
 
そして、行いが変われば生活が変わり、人生が変化していく。
 
 
ああ、だから、言葉って偉大なんだなぁと、この時実感しました。
 
 
 
そして、その言葉と同じくらい大切なことが、実践すること。
 
 
 
どんなに威力のある言葉でも、実践が伴わなければ意味がありません。
カッコイイことを言ったって、綺麗なことを言ったって、実体が伴わなければ、それはただの理論であり空想です。
 
 
 
もしその先生が口先だけで、言ってることとやってることが矛盾してるような人だったなら、私は耳を傾けることもしませんでした。
 
 
 
けれども、
 
彼がどんな綺麗事でもその言葉の通りに実践し、
 
私の弱さも足りなさも認めてくれたこと、
 
私というひとりの人間を、ありのままで信じてくれたこと。
 
それによって、
 
私も、彼の言葉と私自身を信じられるようになりました。
 
 
 
「人は、何ができなくたって、価値がある。
 
うまくできなくたって、価値がある。
 
あなたが生きて、
ただそこに存在しているだけで、
他のものとは絶対に代えられない価値がある。」
 
 
 
そんな、そんな、嘘だろう、と。
 
 
人は誰しも価値があるなんて、よく言うよね。  
 
でも、言うのは簡単でも、実際はそうじゃない。
 
こんな出来損ないで、ボロ雑巾のような私には該当しない言葉だ、なんて思っていました。
 
 
 
でも。
 
 
 
彼が、私に真実に接してくれる姿を見ていたら、いつしか否定できなくなっていた。
 
 
 
そして、そうやって自分を一番否定していたのは、他の誰でもなく自分自身だったのだと気付かされました。
 
 
 
自分を一番愛せなかったのは、自分自身。
 
一番認められなかったのは、結局自分自身だったんだ、と。
 
 
 
誰にも認められなかった自分の価値を、
たった一人の人が認めてくれた。
 
そのことで、
私はやっと自分の価値に気づくことができました。
 
 
 
そして本当の自分の価値がわかった私は、もう他人に愛されるために必死になることがなくなったんです。
 
 
そうして、他人の評価に左右されない“自分らしい生き方”を、一歩ずつ歩み始めました。
 
 
 

生きづらさを抱える人へ

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“生きづらさ”の原因は、様々にあると思います。
 
でも、その中でも最も大きな原因の一つが、まさに「自分の価値がわからない」せいではないでしょうか。
 
 
人は不思議なことに、自信があるとできないこともできてしまったり、逆に自信がないとできることでもできなくなってしまったりするものです。
 
私自身、自分の価値がわからなかった時には、いつも自信がなくて失敗ばかりでした。
 
 
けれども、自分で自分を認められるようになってからは、驚くほどに世界が広がっていきました。
 
 
諦めていた進学ができるようになったり、
 
挫折していた演劇の夢が叶って舞台に立つようになったり。
 
さらには、
あれだけ愛されないと思っていた家族とまで和解することができました。
 
 
もちろん、人それぞれの状況がありますから「私ができたから皆も必ずできる!」なんて乱暴なことは言いません。
 
それでも、“自分の価値”一つを本当に認められるようになれば、他のあらゆる可能性まで開かれていくということは、紛れもない事実だと思います。
 
 
 
では、「自分の価値がわからない人」とは一体どんな人でしょうか。
 
 
 
「自分が嫌いだ」という人、
「自分の短所は思い浮かぶけど、長所は思いつかない」という人は沢山います。
 
もちろん、そういった人たちも自分の価値を見失っている人だといえるでしょう。
 
 
 
でも、実は「自分の価値がわからない人」というのはそれだけではありません。
 
 
 
例えば、
「私は恋人(友だち)に好かれているから価値がある」とか
「自分は○○ができるから価値がある」という考え方を持っている人は、要注意です。
 
 
もし、その恋人や友だちを全て失ってしまうことがあったら、どうでしょうか?
 
あるいは、
もし、ある日事故や病気になって、何もできない体になってしまったら?
 
 
そういった変わりゆくものに価値基準を置いている人は、ある時全てが崩壊する恐れがあります。
 
 
大事なことは、
誰に好かれているとか何ができるということではなく、
何があっても、自分の根本的な価値を心の底から分かって認められるかどうかということです。
 
 
 
私は、自分ひとりでは、決してその価値を見つけることができなかった。
 
それを教えてくれる人に出会ってはじめて、私は、私の人生が生きられるようになりました。
 
 
 
「だからこそ、今度は私が、あの人のようになりたい」
 
「あの人のような言葉と実践を、他の人にも届けられるようになりたい」
 
 
 
それが、私が言葉を発信し始めたきっかけです。
 
 
 
今も生きづらさを抱えている人たちが、一人でも多く自分らしく生きられるように、何かしていきたい。
 
そのために何ができるかは、正直なところまだわからないけれど。
 
 
 
でも、今私ができる一番のことは、自分が学んできたこの言葉を発信することだと思っています。
 
 
 
誰かに好かれようだとか、
 
誰かに認められようだとか、
 
そんなのいいじゃないか。
 
 
 
他人が願う通りにではなくて、
 
自分が自分らしく、
 
素敵に生きられるなら、
 
それがいいじゃないか。
 
 
 
そんな生き方の一歩を踏み出せるように、発信していけたらなと思っています。
 
 
 
「たかだか23歳が何を言っているんだ」と言われたこともあります。
 
確かに私自身はまだまだ未熟です。
 
けれども、私は、私をここまで生かしてきてくれた言葉には自信があります。
 
だから、私は発信することを止めたりはしません。
 
 
 
万人に受け入れられなくたっていい。
 
たった一人の心に、たった一言を届けられたらそれでいい。
 
 
 
応援してくださる方々から、いつもとても力を受けています。
 
つたないことは百も承知だけれども、
私は自分が学んできた言葉を、これからも必要としてくださる人の元へ届けられたらと思います。
 
 
 
それが、私にできる恩返しだと思うから。
 
 
 
 
 
なんてね( *´ω`* )
 
ここまでハードル上げといて何ですが、きっと何でもない日常の記事も書いていくと思います。
料理とかペンギンとか。
 
なので、読む方も書く方も気楽にできたら~って感じです。
 
 
それでは、まだまだ至らないところもあるかと思いますが、これからどうぞよろしくお願いします。
 
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました(*^^*)
 
2018.08.11
 
 
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