もちもちアダチルちゃんブログ

元アダルトチルドレン=略してアダチルの24歳が運営する「生きづらさの克服」をテーマにしたブログです。でもハンドルネームはナナチル。 ペンギンが好き(・Θ・)

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優しさを素直に受け取れない人へ

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こんにちは。ナナチル(@burytheold)です。


実はつい去年まで、私にはずっと悩んできたことがありました。


それは「人の優しさを素直に受け取れない」ことです。

 


誰かに優しくしてもらっても、


「なんでこんな自分に、ここまで良くしてくれるんだろう」
「優しさに釣り合わない自分が申し訳ない」


とか、


「信じたら裏切られてしまうのではないか」


と。
あまりにも臆病で、その優しさを受け取れないことがずっと悩みでした。


自分に向けられた優しさを受け取るのって、簡単じゃないんですよね。
自分があまり好きじゃない人にとっては、とくに。


優しくしてもらえばしてもらうほど、なぜだか罪悪感が募ってしまう。


え、こんな自分に?そんな、ごめんなさい…。
その優しさに釣り合わなくて、ごめんなさい。
何も返せるものがなくて、ごめんなさい。


なんて、思ったり。


あるいは、自分に向けられた優しさを信じることができなかったり。
勝手に裏切られることを想像して、勝手に拒絶したりして。


どんなに優しくしてもらっても、それを素直に受け取ることができなかったんですよね。

 


でも。


それが本当に、つらかった。

 


心のどこかでは、気づいていたんですよね。


「優しさを素直に受け取れない」こと。
これは、きっと正常ではないんだって。
この優しさを受け取れないことは、きっと本当は、自分にも相手にも損なんだって。


明らかに裏があるセールスマンならともかくとして。
本当に心から優しさを向けてくれる人に対して、勝手に謝って、勝手に疑って、勝手に拒絶することは、どんなに心無いことなのか。


本当なら受け取れるはずのこの優しさを、ついうっかり拒絶して、自分はどれほど損をしているのか。


一体どうすれば、この優しさを素直に受け取れるようになるのかと。


そう悩み続けていたのが、つい去年までの話。

 


え、今ですか?


今はですね、じゃんじゃん受け取ってます。優しさ。


溢れんばかりに貰いすぎてて、多分ちょっと勘違いも入ってると思います。
「いや、それべつに優しさじゃないから」っていうものまで、勝手に優しさカウントして受け取らせていただいてます。

 


じゃあどうやって、ここまで変化できたのか。

 


一番大きな理由は、自分で自分を許せるようになったことでした。


「こんな自分が、優しさなんて受け取っていいのか」
うん、いいんだよ。


「もし裏切られたら、どうするのか」
裏切られたって、いいんだよ。


自分の中の様々な「こうしちゃいけない」「こうあるべきだ」という固定概念に向き合うこと。

そして、「そうじゃなくたっていいんだよ」と許してあげた時、私はスッと肩の荷が軽くなりました。


「そっか、こんな自分でも、優しくしてもらっていいんだ」
「裏切られてもいいんだ、死ぬわけじゃなかったんだ」
と、申し訳なさや疑いの荷が降ろせた時、私は優しさを素直に受け取れるようになりました。


ああ、この生きづらさの原因は、誰か人のせいでもなく、自分で自分を縛り付けていただけだったのだと気づいたんです。

 


べつにね、はじめから100%許せなくたっていいと思うんです。
潔くそれができちゃう人は、そうしたらいいけれど。
でも人は、いっぺんに丸っと変化することはなかなか難しいから。


だからもし変わりたいと思う人は、ほんの1%、2%からでも、自分を許すことに挑戦してみたらいいと思います。


今、自分を縛り付けている考え方は何なのか。


自分の中の「こうあるべき像」は何なのか。

 

まずはそれにしっかり向き合ってあげて、ただ一言「そうじゃなくてもいいんだよ」と話してあげること。
まずはその実践が、自分を変える大きな第一歩です。


「いやでも…」
「そうは言ったって…」
そんな考えが浮かんでくるなら、紙に全部書き出してみてください。
そうすると、意外となんでもないことばかりだったりするものです。


「大丈夫、大丈夫」
そうやって段々と自分を許してあげるうち、優しさも幸せも素直に享受できるようになっているかもしれませんね。