【逃げの哲学】“逃げる”とは、もっといい環境への“お引越し”。家庭も職場も学校も。
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こんにちは。ナナチル(@burytheold)です。
昨日、何気なくニュースを見ていたら、子どもの自殺についての記事を目にして。
「子どもの自殺が増えるのは、夏休み終盤の8月下旬から2学期が始まる9月上旬頃」と。
そうか、そうなのか…。
自分も死に損ないの身としては、人ごとのように思えなかった。
今の社会、生きづらさに年齢なんて関係なくなっちゃったんだよなって。
学校、それほどにも苦しいなら、
行かないのも全然アリだと思う。
かくいう私も、小学校の1/5くらいは行ってない。
「私も大丈夫だったから、皆も!」っていうのは乱暴だけど、
「行かない」って選択肢で実際生きてる人がいることは伝えたい。
あと、それは学校だけじゃなくて。
家庭や職場、あらゆる環境において、もう耐えられないほどの限界を感じている人には、
その環境から“逃げる”という選択もあるんだと知ってもらいたい。
ま、“逃げる”っていうとかっこ悪いけど、
要はもっといい環境への“お引越し”だよね。
人間、何も今いる環境だけで生きなきゃいけないわけじゃない。
人はついしんどくなると視野が狭まって、「私はここでやっていけなきゃ終わりだ」と決めつけてしまったりするけれど。
自分が見ている世界は、世界の全てではなくて、ほんの一部に過ぎない。
その狭い世界だけをみて、
自分には居場所がないと決めつけないで。
たとえ学校でいじめられても、
世界にはあなたが生きられる場所が別にある。
たとえ職場で失敗続きでも、
世界にはあなたの個性が生きる場所が別にある。
たとえ家族が愛してくれなくても、
世界にはあなたを認めてくれる人が他にいる。
世界は、自分が思っているよりも、ずっと広いから。
たとえば、今絶賛火事真っ只中の家があるとして。
そこで誰も助けてくれないからといって、「ああ、私はここで苦しんで死ぬ運命なんだ」なんて諦める必要はないんだ。
確かにそこを抜け出すのは簡単ではないかもしれない。
けれども、歯を食いしばって脱出すれば、外には生きられる場所が待っている。
息苦しい煙りのない、新鮮な空気。
自分を助けてくれる人々。
傷を癒してくれる存在。
焼けてしまった家とは別の、新しい家。
ただ外に出さえすれば全く別の世界があるのに、
今いる環境のせいで外の世界まで諦めてしまうのは、もったいないよなって。
「どうせここから出ても無駄だろう」
そんなの、実際に出てみなきゃわからないじゃないか。
確かに、今いる環境を抜け出して別の場所へ行けば、もっと酷い目にあうこともあるかもしれない。
転校先の学校でもっといじめられるかもしれないし、転職先の職場はもっとブラックかもしれない。
確かに、そう考えると怖いけど。
でもやっぱり、それは世界の全てじゃない。
自分を潰す環境もあれば、
自分を生かしてくれる環境もある。
自分を否定する人もいれば、
自分を認めてくれる人もいる。
それは、紛れもない事実だから。
そんな環境なんてない、
そんな人なんていないというなら、
それはまだ出会っていないだけなんだ。
自分が今見ている世界が、全てじゃない。
10年生きても、30年生きても、100年生きたって、まだまだ知らないことだらけの人生だから。
もし、今苦しい人がいるのなら、
どうか今見ている世界だけを見て、諦めないでほしい。
この広い世界には、生きられる場所なんていくらだってある。
ただ、自分がそれを知らないだけだ。
今はまだ、知らないだけだから。
そして最後に、もう一つ。
今の環境を抜け出すのには、きっと、周りの人には到底わからないほどの勇気がいる。
覚悟がいる。
それをしんどく思う心もあるかもしれないけれど。
でも、それと同じくらい、
全てを諦めるのにだって覚悟がいるじゃないか。
同じ覚悟をするなら、せめて生きる覚悟を選んだっていいんじゃないのかな。
生きる覚悟は何度だってできるけど、
死んだら何もかも、もう取り戻せないから。
どうせ逃げるなら、
生きることから逃げないで、
今いる環境から逃げ出せばいい。
生きる場所を見つけるには、
もしかしたらものすごく時間がかかるかもしれないし、案外あっさりたどり着くこともあるかもしれない。
全てを諦めるのは、
そうやって世界中を自由に旅してみてからでもいいんじゃないかなってね。
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